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ブルームーン エッセイ

ブルームーン

ここでは小米雪の普段の生活で気になるお話をエッセイ形式で書き記していきますw
No  411

2008年を振り返って3

この記事は「2008年を振り返って」   の続きになります。

時期が12月だっただけに、そのメールは本当にわがままだった。
わがままを言ってもいいよと返ってきた返事に思わず、クリスマスの話を挙げた。
彼のバイトのシフトを聞いていて、25日が休みなのは知っていた。疲れている受験生の休みを一日下さいというかなりのわがままだった。
快くOKしてくれたのは本当に嬉しくて、思わず携帯電話の前でのガッツポーズ。母には不振な目で見られた。
半日でいいからと言って夕方から待ち合わせた。
初めて過ごす好きな人とのクリスマスに、浮かれるを通り越してハイになっていたと思う。
この人は疲れているんだから……と思っていたものの、結局色んなところに連れまわしてしまった。
イルミネーションは綺麗だが、12月の夜は寒く、「寒い寒い」と連呼していると、急に手をとられた。とられたというか、かなり自然に手が繋がったというか……まぁ、手を繋ぎだしたのだ。
掌がくっ付く感触が心地よくて、普通に照れてしまった。
折角だしと笑いながら言う彼の顔が見れなくて、ソッポを向いていたら、照れているのに気付かれて、更に笑われた。
自分の手の先にあるものを放したくなくて、ギュッと強く握り締めた。握り返してくれる手が嬉しくて、思わず言葉が出た。
それは、受験生だと聞いた時から、言わないでおこうと思っていた言葉だった。
人生の岐路にいる人の少しでも障害になってしまうことが嫌だった。
一緒にいたい、とか、邪魔をしたくない、とか、色んな感情が入り組んでグダグダと言葉を続けた気がする。
「本当は付き合って下さいって言いたいんやけど、受験生やから……邪魔したくないから……」
一瞬驚いた顔の彼と目が合って、思わず伏せた。
勝算がないわけではなかった。だからこそ言いたくなかった。どんなに嬉しくても言いたくなかった。
「じゃあ、受験が終わったら付き合おっか……」
ポツリと呟く彼の顔は見ていない。
俺は今でもいいよ? と尋ねてくれたが、それは嫌だと駄々っ子のような言い方をして、
「待ってるから、受験が終わったら迎えに来てください」
と言い返した。うんっと言ってくれたことが嬉しくて、涙が出そうになった。
その後、駅までの道を二人で歩いて、色んなことを話した。
その中で、「俺でいいの?」と何度か確認をされた。
自分は今こんなにもフラフラしていて、先がどうなるかも分からないから、一緒にいろとは言えないと。
確かに、先が見えないのは不安で、迎えに来てくださいなんて言っても合格するかも分からなくて、唯、それだけのリスクがあっても、自分はこの人がいいと思えた。
考えただけで、若いなぁーと自分で自分を笑ってしまいそうだ。
「あなたでいいじゃなくて、あなたがいいです」
この言葉は、これからの後2,3ヶ月間を彼に賭けた言葉だった。
この世でもっとも貴重なお金で買えないものが時間ならば、この世で最も高等な賭けをしてやろう。そう思った。
「じゃあ、受験が終わったら迎えに行きます」
賭けの言葉を言い切った私に彼が言った一言だった。
それは、その一言で賭けの結果なんて如何でも良くなるくらいの一言だった。 
賭けの結果は2008年には分からない。
最長で結果が出るのは来年の3月だろう。
寂しかろうが、余裕だ。今はそう思える。
2008年を振り替える。其処には様々なものがあった。
だが、2009年に持ち越すのは将来の目標と、この賭けだけだと腹をくくっている。
如何せなら2009年は全勝して、来年の自分の一字は「勝」だ! と言い切れるようになればいいと思う。
2008年が失恋から始まったのなら、2009年は恋愛を成就させて始めてやる。
それは少しばかりの来年への抱負である。

「2008年を振り返って」・完


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No  410

2008年を振り返って2

この記事は「2008年を振り返って」の続きになります。

平々凡々な言葉で一言、「これ読んでくれませんか?」と呟いた自分に一番驚いたのは自分自身だった気がする。それは手紙を書いたものの、中々渡せず一週間程度ポケットの中で眠っていたあとの行動だった。
決心はしたものの結局は渡さないのだと自分の中で決め付けていたものが崩れた瞬間だった。
店員さんは驚いた後、ゆっくりと手紙を受け取ってくれた。後に、彼自身もその時驚いて緊張していたのだと語ってくれた。
渡した後、急に恥ずかしくなって何度も、「ご迷惑をかけてすみません!」と訳の分からない言葉を呟いた気がする。少し笑いながら、「いえ」と短く答えてくれた彼を今でも覚えている。
逃げるように電車に飛び乗って、フラフラと自転車をこぎながら家に帰った。よく事故を起こさなかったと自分でも思うほどだ。
その日の夜、一通のメールがきた。
もしや、と思い覗いた画面からは彼からの簡単なお礼が書かれていて、30秒程度で読める文章を30分以上眺めていた気がする。
まさか返事が来るとは思っていなかったので、嬉しくて涙が出そうになった。
返事を返して、またメールがきて、知りたかった彼の名前が分かった。
一通、一通が凄く大切で、メールの保存機能を全て使ってでも保存してやりたいと思ったくらいだ。
彼からのメールでレジにいない時はここで働いているとある場所を教えてもらって、数日後、ずうずうしくも会いに言った。メールでは話せても、カウンター越しでない彼と話すことが出来なくて、思わず彼の後ろに隠れて笑われたのもいい思い出だ。
何回かメールをしてて、一度食事でもと自分から誘って、了解をもらった。
短い髪は仕方がないにしろ、洋服は何を着ようか、鞄は? そもそも何を話せばいいの? と自分で誘ったくせにパニックになっていた。
ふと落ち着いて考える。自分には彼に聞きたいことが一杯あった。
何をしているの? 幾つなの? あなたはどんな人なの?
ご飯を食べながら話し込んで、一つ一つ色々なことが分かる度、嬉しくなった。
どちらかというと自分から話すのが好きな自分にとって、人の話をずっと聞いていたいと思えたのは恋のなせる力かもしれない。
同い年ではあるが、一度大学を辞めていて、今は再び勉強する為に受験生をしている。やりたいことがあって、それを目指していたが、結局二十歳を超えて諦めてしまったこと。
フリーターだ。と以前のメールで言っていたので、真面目に色んなことを考えているのが、失礼な話だがすごく意外だった。
彼の言葉を聞いていて自分がいかに大学生という肩書きにしがみ付いているのかがわかった。
「職業は?」と聞かれても「学生です」と答えればいい。
例え、学びたいことがなくても、学んでいなくても、親のお金で大学に席を置いているだけでそれは「学生」なのだ。正直、うちの大学にそんな子がいないわけではなかった。
その所為か、今の自分は駄目なんですと話す彼の話を聞いて、立場にこだわっている自分を含めそんなつまらない学生の方がよっぽど駄目であると感じた。
その日、一日が終わって、学校という枠内でくくられた世界で過ごしていた自分がいかにつまらないかが分かった気がした。自分が見ている世界は狭いと、中学時代に気が付いたはずなのに、気付けばまた狭い世界に閉じこもっていた自分が其処にはいた。
その後も何度か本屋さんへと顔を出した。一週間に1,2回経った3分話すだけで嬉しかった。
メールのやり取りも続いて、「忙しくて話せなくてごめんね」と謝る彼に愛おしさが募った。
仕事中に邪魔をしているのはこっちなのに……。
そう思いつつも、その後一通のメールをうった。
『これ以上、仕事の邪魔は出来ないですから。唯、寂しいんでわがまま言っていいですか?』

「2008年を振り返って3」へ続く。


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No  409

2008年を振り返って

清水寺の今年の一字、『変』。
2008年は私にとっても変化の多い年だったかもしれない。
大学の3回生になって、二十歳になり、成人を迎えた。また、就職活動を開始していたが、将来の夢が見つかって、大学院へと志望を変えたのも今年である。
こちらのサイトでも何度か書いたかも知れないが、恋をして、失恋をしたのも今年で、一年を振り返ると本当にめまぐるしいものがあると思う。
今年の上半期の自分の生活を暗と表すのならば、後半期はある意味において明なのかも知れない。
恋愛一つ取り上げてみても、恋をして、失恋をして、また恋をしている辺り、意外に自分は立ち直りが早いのかもと新しい発見をした気がする。
今から少しだけ三文小説のような最近の出来事を紹介したい。
本当はタイトルの通り、今年一年を振り返ってみたかったのだが、やはり忘れたい記憶というのはあるもので、此処で態々場を設けて愚痴を書かないためにも、最近の楽しい思い出を振り返ってみたい。
今年の10月頃、丁度進路の大幅な変更をして、とある資格取得のために、学校の勉強だけでなく、少しだけ心理学の勉強を始めた。
以前何処かで書いたかもしれないが、雪の通学路にある大きな本屋さんで、心理学の本を見ることが多くなったのだ。
七階建ての本屋さんのあるフロアに其処はあって、勉強関係の本が主のため、他の階のようににぎわうことはなく、ゆったりとした空間が形成されている其処が好きだった。
10月も後半を迎えた頃だろうか、本屋のレジでとある店員さんと出会った。他の店員さんに比べて凄く愛想が良くて、働いている姿が凄く楽しそうだった。レジをしてもらった時の笑顔が一級品で、絶対にまたこの人から本を買いたいと思わせてくれるような人だった。
思えばそれが一目ぼれだったのか、それ以来、本半分店員さん半分くらいの目的意識で本屋に足を運ぶようになった。大学帰りで勉強や友達同士のことなんかで少し疲れながら本屋に行くと、その人が居て、それだけで次の日も頑張れる気がした。
話してみたいと思うようになったのは何時のことだったか。その人にレジをしてもらうだけで満足だったのに、いつの間にかそう思うようになっていた。名字しか書いてない名札が切なくて、名前は何ていうのか、歳は幾つなのか、聞きたいことは山ほどあった。
話したいと思うようになっても、レジの前にあるカウンターは高く、用もないのに話しかけるのはやはり気が引けて、暫くはひっそりと今までどおりの生活が続いていた。その頃から、あぁ自分は恋してるのかと気が付いたのかもしれない。
11月のある晩のことだった。あるテレビ番組での一言があった。「失敗した時は凹むんじゃなくてポジティブに其処とは縁がなかったと思って諦める」確かそんなことを言っていたと思う。
その言葉が妙に耳に残って、気が付いたら人生で初のラブレターを書いていた。
ラブレターといっても付き合ってください! なんて熱烈なものではなく、笑顔が素敵で、レジをしてくれるだけで嬉しくなる。そんなことを書いたと思う。手紙の最後に書いたのは自分もメールアドレスで、返事がくるかどうかも勿論大事だったのだが、手紙を渡すことがその時の一番の自分の目的だったような気がする。
今年の上半期にしていた恋で、結局何もいえなかったことが凄く心残りで、何も言わなかったからこそ、彼とは今でもいい友人関係を続けていられる、と思ったこともあるが、やはり自分の中ですっきりしないものが残っていた。恋愛だけじゃなくて人生において、自分は何時も安全なところに居たのだと、彼と会話をする度に気付かされるような気がしたのだ。成功するものにしかチャレンジしなくて、結果の出やすい方に流れて行った。自分の人生はそんなものだった気がした。
その店員さんに渡した手紙という小さな紙切れが、今までのつまらないものを破り捨ててくれる気がしたのだ。

「2008年を振り返って2」へ続く。


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No  391

あなたは何を選びますか?

エッセイというのか如何かは疑問であるが、最近の聞いたクイズ(?)の中で少し面白かったものを紹介しようかと思う。
まずはこの問題を考えて欲しい。

『今あなたは凄い嵐の中車を走らせている。ふと窓から外を見ると其処はバス停であった。そのバス停には三人の人がバスを待っていた。
一人は死にかけで息絶え絶えとしたご老人。
一人は昔自分の命を救ってくれた恩人。
一人は自分にとって理想的な異性。
あなたの車にはあと一人だけ乗ることが出来る。さて、あなたは誰を車に乗せますか?』

この問題はある会社の入社試験で出されたものである。
正式には正解は存在しないのだが、たった一つだけ正解に限りなく近いものが存在するそうだ。
雪はこの問題によく聞く心理テストに近いものを感じたのだが、皆さんの答えは一体何になっただろうか?
人間の心情としてはご老人を選びたいところであるが、だからと言って危険な場所で、昔の恩人や理想的な異性を置き去りに出来るだろうか?

答えはとりあえず、後回しにして少しくらいはエッセイらしい文面を含んでみよう。
雪の小学生の頃の話ではあるが、その年の子によくあることだろうが、「究極の選択」という話をしたことがある。
『顔が物凄く格好いいが、物凄く貧乏な男性。 顔が物凄く不細工であるが、物凄く金持ちな男性。結婚するならば、どちらを選ぶ?(愛情度、性格などその他の条件は全て同じであるとする)』
というものである。
唯、この問題はいくら男女平等といえど、女性にしか通用しない気がするのは雪だけだろうか。
男性の場合養ってもらうという考え自体が浮かばない所為だろうか、よほどの人じゃない限り美人を選択するのではないだろうか?(雪の偏見であれば申し訳ない)
とりあえず、どちらも選べない場合どれを選択するか? その様なゲームが流行っていたのを覚えている。
その他にも、「親友と彼氏(彼女)が海で溺れていたらどちらを先に助ける?」といったものや、「恋愛と仕事どちらか一方でしか成功できないとしたらどっち?」といったものまで色んなものがあった。
飲み会の席なんかで気軽に聞いてみたら、その人の人生において重要視しているものが意外に見えてくるかも知れない。
唯、これらの問題最初にもいったが、女性重視のものが多い。
雪が女であるから、そういう問題ばっかりが耳に入ってくるという可能性もあるのだが、男の子にこういう話を投げかけた記憶がないのだ。
例えば、親友と彼女であるのならば、大抵の場合親友は男である場合が多い。
だとすると普通か弱い方(であろう)の女性を先に助けるんではないだろうか?
恋愛と仕事に関しては男性の場合殆どの人が両立して過ごしているので、この問いも結婚出産により仕事から遠のく可能性のある女性に向けられていることが分かる。
こんなゲーム一つをとってみても、女性の方が選択を迫られることが多いということが分かる気がする。
また、こういった選択を迫ることが多いのも女性である。
その所為か、意外にきっぱりざっぱりと物事を決めてしまう人にも女性が多いのはある意味で当たり前の話かも知れない。
また、その原理でいくと、情に流されやすく、結論を急ぎたがらない人は男性に多いのかもしれない。

ふむ、一つ男性でも出来るようにこんな問題を考えて見た。
『さて、究極の選択ゲームです。私(彼女)とあの子(浮気相手)が海で溺れています。あなたはどっちを先に助けますか?』
……色んな意味で究極の選択である。(こんな問題しか浮かばなくて申し訳ない)
唯、この問題を彼女が彼氏に投げかけて、もし彼氏の浮気が発覚してしまった場合は小米雪は関与していないのであしからず。

最近生活が楽しくないと思っている方はいないだろうか?
究極の選択とは言わないが、そんな方はほんの少しのことを生活の中で選択してみるのはどうだろうか?
男性でも女性でも、人生において選択するということは、比べられている人の価値を決めているのでも、比べているものの優先順位を決めているのでもないのだから。
比較し、選択するということで決めているのは唯一つ。
それはあなたの人生なのだから。
少しの選択肢があなたの人生を何倍にも素敵なものにしてくれるかもしれない。
そして、そうであることを私は祈っている。

あなたは何を選びますか?・完

追記でついに最初の問題の答えが……(笑)


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No  378

だから紙の塊を愛してます2

この話は「だから紙の塊を愛してます1」の続きになります。

皆さんは辛い時、ストレスが溜まった時の乗り切り方をご存知だろうか?
以前に心理学関係の本で読んだのだが、辛い時や挫けそうな時に一番いい方法は、「楽しかった時を思い出す」ことだそうだ。
すなわち、楽しい思い出に関係のあるものを見たり聞いたりすればいいのだ。
思い出を形に残す手段として、写真が挙げられる。
その時のその風景、笑顔をそのままに一枚の紙として形に残すことが出来る。
言うなれば、思い出の化身のようなものである。
確かに、写真に残っている思い出は何時見ても懐かしく、眺めることが出来るだろう。
しかし、私としては一冊の本は時としてその写真と同じ様に、いや、それ以上に思い出を語れるものであると思っている。
例えば、小さな頃に幼稚園で読んだ絵本を皆さんは覚えてないだろうか?
桃太郎でも人魚姫でもシンデレラでもいい。その綺麗な色使いを見ながら、その時の自分は何を思っていたのかを思い出すことが出来るのではないだろうか。
例えば、小学生の頃に嫌々連れて行かれた歯医者の待合室に置かれていた漫画を覚えてないだろうか?
キュイーンと歯を削る嫌な音が鳴り響く中で、漫画のコマを読み進めながら、その時の自分がどれほどの治療を怖がっていたのか思い出すことが出来るのではないだろうか。
例えば、自分自身のお小遣いで初めて手に取った本を覚えてないだろうか?
如何しても読みたくて、幼き日の僅かな小遣いから一冊の本を買いに行った日の嬉しさを思い出すことが出来るのではないだろうか。
また、記憶は自分一人だけのものではない。
本を読んでいる時、横から姉が話しかけてきて、本の内容に集中できず二人で喧嘩した本。
友達の勧めで読み始め、その友達と夢中になって本の感想を言い合ったような本。
そんな風に誰かと共有の記憶を本に閉じ込めることも出来るのだ。
だから、私は思っている。
本は内容だけを読むものではないと。
何年か後にその本に出会った時、あの頃の自分はこうであったと、本の重さで、本の装丁で、本の内容で思い出して行きたいのだ。
「一冊の本は人を生かし続ける」
最近読んだ漫画の言葉だ。
この言葉が酷く重く自分に響いた気がする。
雪の20年程度の人生で一番辛い時期を助けてくれたのは、周りにいた素敵な人たちと本だったのではないかと思う。
辛い時でも本を読んでその世界に張り込んでいる時だけは色んなことを忘れられた。
そして、読み終わって一息ついたら、もう一度頑張ってみるか……という気になれたのだ。
インターネットで欲しいものが手に入るから、書店に顔を出すことを控えていた方々。
ほんの少しだけ本の森に迷い込んでは見ないだろうか。
欲しい本を探しに行くだけではなく、ぶらぶらと本の背表紙を眺めながら歩くだけでも、そこには過去の自分がひょっこり顔を覗かせるかもしれない。
だから、本は唯の紙の塊でありながら、それは途轍もなく深い紙の塊であるのだ。
そして……私は今日もそんな紙の塊を愛している。

「だから紙の塊を愛してます」・完


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