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ブルームーン 2007年09月
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ブルームーン

ここでは小米雪の普段の生活で気になるお話をエッセイ形式で書き記していきますw
No  10

腐女子って!? 3

腐女子って!?     ←数字にリンクが貼っていますw
読んでくれるありがたいお方どうぞ278 



以前に四コマの方で勝手にネタにさせていただいたTちゃんの意見で、こんなものがあった。(Tちゃんについてはあぁ、オタク様をご覧下さい)
「少女漫画とかの男女が絡み合っている(俗にいう濡れ場)シーンは生々しいからあんまり見たくないかなぁ」
その時はふーんっと返事を返した小米雪ではあるが、よく考えるとこの言葉にいろんな意味を感じたのだ。
男女間の濡れ場は生々しい。
何故、彼女はそんなことを言ったのだろうか。ならば、BL的な男同士の濡れ場であれば生々しくないということなのだろうか。
本のジャンルにファンタジーなるものがある。
ファンタジーは一から作り出された作者の世界に読者を招待する、といった本であると小米雪は思っている。
このファンタジー世界では架空の中のリアリティを求められているように思う。
難しい言い方をしたが、架空の中のリアリティとはありえない世界での出来事を身近に感じられるような何かであると思っている。
一般社会にいる女の子と異世界にいる男の子との恋愛間を描く時、その二人が引き裂かれたり、種族の違いで迫害されていくような姿は実際、宗教間で起こっているようなことである。
つまり、実際に起こりえることを違った形で写し、尚且つ共感できるものを持たせる、というのが雪が考えるファンタジー性である。
何故こんな話を始めたのかというと、この話をBLに当てはめてみようと思うのだ。
『腐女子って!? 2』でも書かせてもらったのだが、この文章を書く前にいくつかのBL系のサイトを巡らせてもらった。二次小説のサイトも多く覗かせてもらったのだが、少年が友達と恋愛との狭間で揺れる同姓間の恋心のようなものが書かれているのが多かったように思う。
これもある意味ファンタジーではないだろうか。
このような小説のサイトさんには必ずと言っていいほど「女性向け」「女性限定」「腐女子限定」なんて言葉が掲げられている。
つまりBLを読むのは女性である訳だ。
これを考えれば、ファンタジー性は十分にあるのではないだろうか。
腐女子は、自分自身が女であることでBLの主人公には絶対になりえない性別の壁が存在している。つまり、自分とは違った世界で起こっている事件であると安心して読めるのである。
だが、腐女子の方々がBL的な作品を読んでいて安心感を得ているとは到底思えない。
アドレナリンの量でいうと、安心感とは程遠いような気さえする。
腐女子の方々がBLを読んでいていう「萌え」という言葉は興奮している時に使う言葉なのだそうだ。ならば、安心感を得ようとしているという説は悉く破壊しなければならないのだ。


 


腐女子って!? 4に続く


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No  9

腐女子って!? 2

「腐女子って!?」の続きです。読んでいない方で読みたいというありがたいお方はこちらをどうぞ。


小米雪自身が腐女子かどうかと問われると、それはコウモリのようなものである。と昨日は話した。それについては「腐女子って!?」を読んでいただきたい。
よくテレビなんかでも女性は男性同士がいちゃついている図を見るのが好きである、といった類のことを聞く。果たしてそうなのか?
確かに、いい男といい男がくっ付いている図は絵になるかも知れないが、別にそれが好きというわけではないのでは? と思うのだ。
例えば、ジャニーズ系のアイドルがふざけてグループ内で抱き合っていたり、キスしていたりする場面でキャーッという黄色い声が上がる。
もし、この場合に片方が美人の女優さんであったり、普通の女の子であったりした場合、あがるのは黄色い声ではなく、嫉妬の悲鳴や罵声であろう。
アイドルに恋をする女の子にとって、アイドル自身が抱き合っている相手が男であるというのは、その光景が好きというよりも、一種の安心感のようなものが芽生えているのではないだろうか。
それに、そのアイドル自身も自分がふざけていることを分かってやっているので、見ていてコミカルな映像として写るのであろう。
現実問題を突き止めてみると多分そんなものであろう。
では、何故腐女子は存在するのか?
腐女子とはBLのコミカルさを求めているのではない気がする。このBLというものに世の腐女子をひきつける何かがあるのだろうか。
この記事を書くに渡って、BL系のサイトを放浪をして見た。
正直な感想を言うと、人間の想像力は凄いなぁということである。
圧倒的に多いのが漫画の二次小説というやつであるのだが、私自身が思いもよらぬことになっていた。詳しくは話さないが、さすがに少し困ったと言ったところである。
ふと、その様なサイト様を訪れて気がついたことが、二次小説にされている漫画は少年誌が多いのだ。
友達にそのことを話すと、
「少女漫画は恋愛を主体として書かれているものが多いが、少年漫画は主体が別のところにあるから恋愛関係について想像しやすいのでは?」
という意見をもらった。
確かに、私がよく読んでいる少女漫画というやつは恋愛が主であり、恋愛を通してストーリーが進んでいると言っても過言ではない。が、少年誌というやつは戦いやギャグを主としていて、バリバリの恋愛漫画というのは存在しないように思える。
特に青年誌や成人向けの漫画とは別に少年誌はBLの条件(?)とも言える十代の男の子が主人公であることが多い。しかも、最近の少年誌は友達曰く、腐女子を狙っている節があるので、可愛い男の子や格好いい男の子が多数出てくる場合が多いのだそうだ。出版社としても読者層を広げる為の策であるのであろう。 
その策に嵌っているのか、最近では腐女子と言う言葉がピックアップされ、テレビなんかにも顔を出し、私のような者でも知るところとなっている。
まぁ、実際問題上に書いたような少年誌の漫画はBLにしやすいのかも知れない。
だからといって彼女達がそのBLを好むというのはまた別問題ではないだろうか。



「腐女子って!? 3」に続く。


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No  8

腐女子って!?

オタクについての研究(というほどのことはしていないが)が終わったので、今度は更に分野を狭くして、腐女子たるものについて考えてみようと思う。
私がこの言葉を知ったのはつい最近のことである。
友達からのメールに、
「うちの周りは腐女子ばかりで困っている」
といった内容が書かれていたのだ。
そのメールを見た私の反応は、腐女子? なんじゃそりゃ? ってなものだった。
そこで、その友達に、
「腐女子って何?」
というメールを送ったところ、
「重度のオタクである女の子」
という返事がきた。
うむ。前回のオタクとはでも書いたが、小米雪の中でオタクとは「二次元と三次元との境目が薄くなっている人」と定義付けられている。その原理でいうと、重度のオタクというのはオタクの仮説として一度立てた「二次元で暮らしている人」という意味なのだろうか。
大体、腐る女の子と書いて、何故重度のオタクになるのだろうか?
そんなある日のことである。
テレビのある番組を見ていたところ、最近の造語のようなところに腐女子という文字を発見した。
「あっ」と思いながら芸能人の回答を聞いていたところ、正確な腐女子の意味というのは、「男性同士の同姓愛を好む女性」ということらしい。
そもそも、「萌え」という言葉がパソコンでの漢字変換の際に「燃え」が「萌え」になって出来たように、「腐女子」も「婦女子」という言葉が間違った漢字に変換されることで出来たらしい。
それが何故、男性同士の同性愛に結びついたのかは謎である。
オタク社会では男性同士の同性愛のことをBL(boy’s love:ボーイズラブ)というらしい。
その他にも女性同士の同性愛をGL(girl’s love)、一般的な男女の恋愛のことをNL(normal love)などがある。
最近ではこのBLというものは一般的な書店などでもコーナーを設けるなど、オタク社会のみならず、一般大衆の目にもさらされている。
インターネットなどで軽く調べて見たところBLというのは男性同士、それも少年同士の恋愛を対象にした女性向けのもの(小説や漫画など)に使われることが分かった。
小米雪自身の意見を取り入れるならば、好き嫌いはともかくとして、恋愛は本人の自由なので好きになる相手が性別が如何であれ、本人同士がそれでいいのならば別に問題はないのではないかと思う。
ともかく、BLなるものを好む女性が腐女子である。
では、何故腐女子はBLを好むのか。
先程放置した問題ではあるが、小米雪自身がBLを好きか嫌いかで問われると、好きではないという微妙な答えを返すことになってしまうだろう。
嫌い! と言い切れる程の嫌悪感はないにしても、それをお金を出して買い、それを読むことでときめくかと聞かれれば、間違いなく否である。
唯、小米雪の周りにも思い返せば中学時代に腐女子が存在した。
彼女たちはBLの二次小説なんかを読んでは黄色い声をあげていたように思う。
その影響か、私自身不思議なことは一般的な人のようにBLなどに対する嫌悪が本当にないのだ。その小説を渡されたとしても、「キャー」でも「うわっ」でもない「ふーん」という言葉を返してしまいそうである。その点に置いて、ある意味どちらにも属せないコウモリのようなものである。



いつものことながら長くなるので続きはまた明日88



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No  7

あぁ、オタク様(四コマ)

雪の日常、四コマ漫画のUPです。
オタクについてが終わったんで、それにちなんで書いてみました(笑)

ちなみに雪は↓↓こんな人がオタク様かなっと思っております(偏見ですね229

e_gosurori.jpg
では四コマをどうぞ
あぁ、オタク様(四コマ)…の続きを読む
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No  6

オタクとは2

さて、昨日に引き続きオタクについて考えていきたいと思う。
昨日の分も読みたいと言ってくださる方はこちらをどうぞ。


二次元の社会、漫画や本を読んでいても分かると思うが、あの社会には圧倒的にハッピーエンドが多い。最近はバッドエンドが一部で人気であるという話も聞くが、一般大衆に受けるのはやはりハッピーエンドであると考えられる。
少女漫画では望みがないと思われた恋愛が成就したり、失恋した女の子にそれを癒す男の子が現れたり、少年漫画では戦いに負けていたのに、何故か秘密の武器や主人公のバージョンアップ、救世主の出現なんかで必ずといっていいほどの勝利を収める。
いや、私は決して漫画界を愚弄したい訳ではない。
唯、言いたいのはそこにあるのは光り輝く道であって、決して抜けられないトンネルではないということだ。
三次元と二次元の違いはそこにあるんじゃないかと思う。
そして、その世界に息抜きの意味合いで足をつけるのは何の問題もないと思う。
実際、私の場合はっきりと自分でも分かるほどに二次元の世界を癒しの場として使っている。
しかし、その世界に住んでしまうことは別である。
二次元社会に住んでしまうのと足をつけるのとでは全く意味が違うのだ。
辛い時逃げ場の無い人は壊れやすい。
この言葉は私が身を持って体験したことであり、曲がりもない事実であると思っている。
でも、逃げ場に住み着いてしまうことは、問題を直視していないことと同じではないだろうか。
逃げ場はあくまで逃げ場であって、そこが自分の本拠地ではないのだ。
づらづらと話を綴ったが、今だオタクというものについて見えてはこない。
オタクを二次元社会に生きる者と定義するならば、オタクの皆様は皆家に引きこもるという羽目になってしまう。
そして、オタクの人全員が逃げ場に囚われた人のようになってしまう。
うむ。これとは少し違う気がする。
オタクの人だって仕事を持ったり、学校に行ったりしているのだから。
少し、考え方を変えてみよう。
雪がオタクと思う人についてもう少し考えてみる。道端でコスプレをしているお方や、アニメのフェアなんかに頻繁に顔を出し、アニメの中の少女に恋をしているお方はオタクと呼べるのではないだろうか。(これは偏見か?)
その辺りを含めて考えてみると、出される仮説は「オタクとは二次元と三次元の境目が薄くなっている人物である」とできるのではないだろうか。
これは我ながら中々いい線を行っているんじゃないか?
住んでしまうまでは行かないが、二次元社会のモノを三次元社会に引っぱりこんでいる人がオタクというのは如何だろう。
それなら、コスプレや二次元社会に恋することも納得がいくんじゃないだろうか?
よって、小米雪はオタク(アニメオタク)というものを「二次元と三次元の境目が薄くなっている人物である」と結論付ける。
これがいいのか悪いのか、今の私には計り知れないが、それが原因で争いごとが起こらないのであれば、別に悪いものではないのであろう。

以上、「オタクとは」・完


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No  5

オタクとは

とりあえず、今日は前々から気になっていた「オタク」というものについて考えてみようと思う。

雪は漫画、小説なんかがかなり好きである。
雪の姉なんかはそんな雪を見て、
「雪って本当にオタクだよねー」
っという台詞をはいたりする。
そうなのだろうか? そもそもの問題としてオタクとは何なのか?
オタク、世間一般では東京秋葉原に存在するような人たちを想像しがちなのだが、オタクの人たちが秋葉原に集まってきているのであって、秋葉原にいるからオタクというわけではない気がする。
そこで、インターネット社会に片足を突っ込んでいる住人として、”Wikpedia”なるもので調べてみたのだが、「おたくとは、趣味に没頭する人の一つの類型またはその個人を示す言葉である」とのことであるとされている。(詳しく見たい方はこちらをどうぞ)
趣味に没頭する人の類型というのであるのなら、私のような趣味によって科学の道に進むことを決め、大学で学んでいる人間は皆オタクであるというのではないだろうか?
そもそも大学なんかはある意味趣味の領域ではないか、と思う。
雪の個人的な意見として言わせていただくと、漫画や映画なんかに没頭してコスプレや二次創作なんかに励んでいるお方は、オタクであると認識している。
ふむ。これは偏見というものだろうか?
アニメなんかの二次元の社会から出てこれなくなった人をオタクといえば片付くのではないだろうか?
そもそも二次元というのは厄介なものだ。
ファンタジーなんて言葉が存在し、その様な分野での話が飛び交う今、言ってしまえば二次元という社会そのものがある意味ファンタジーであるといえる。
私が考えるオタクの皆様というのはそのファンタジー社会で生きてしまっているのである。
人間というのは昔から自分と違うものに対して軽蔑に値する振る舞いをして見せたりする。
この行動にはひとえに恐怖というものが込められているのだと、私は考えている。
今、世の中でオタクという言葉に対して込められている一種差別のような意味合いは、二次元社会に生きる者たちへの恐怖なんかに対して向けられているのではないだろうか。
三次元に生きる者を一般的であるという観念で捕らえるならば、二次元に生きる者は間違いなく違う世界に生きる者である。
唯、私はこのオタクという社会にかなりの興味を覚えている。
自分がそうなりたいという憧れの意味合いとはまた違い、純然たる好奇心から来る興味である。
三次元に生きている以上、思い通りにならないことや辛いことなんかが多数存在する。
二次元の世界――言ってしまえば想像の世界にそんなものが存在しないのならば、その世界はかなり魅力的であるといえるだろう。


続きはまた明日


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No  4

四コマ漫画

四コマ漫画では小米雪の日常やちょっとした小話を紹介しています。
かなり適当な絵ですが、とりあえず四コマで落とす! を目標に日々精進していきたいと思ってますw


mannga1.jpg

こんな大学生に誰がした……229
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No  3

人の仮面のあり方2

さて、先程の続きである。
睡魔が襲ってこないこの夜にひっそりと書いてみようかと思う。
読んでない! 読みたい! っと言って下さる奇特な、もといありがたいお客様はこちらをどうぞ。


例にも出したように、美容師と客の関係でされるそこまで親しくないもの同士で被る仮面ならばまだいい。
ほんの一時だけ被ればいい仮面ならば、それは自然であり、むしろ人として無意味な争いごとを起こさぬ様、積極的に被る努力だってするつもりだ。例えそれに嫌気が誘おうとも。
だが、本当に辛い仮面は親しい人に対して被る仮面である。
この仮面は辛く、悲しいにも関わらずほとんどの人が無意識に被ってしまっているから厄介だ。
最近、ある失恋を経験した。
とある少年に対してだ。少年と私との距離感は微妙なものであった。
メディアで面白く取り上げられるような言い方をするならば、友達以上恋人未満というやつである。
失恋の原因を探れば、自分にあることはありありと目に見えていたし、失恋といっても皆様が頭に浮かべるような辛いものでもないのである。
唯、私が少年から離れるきっかけを簡潔に話すのならば、その少年に彼女が出来た、ということである。
私は、私を心配してくれる少年に対して、完璧なまでの愛想笑いを浮かべて見せた。
いや、私は少年の前では自分の心すら偽り、強固な仮面を被ることで自分を守って見せたのだ。
唯、辛いのは私も少年もその仮面を被っている私に気が付いているということである。
気が付いていて、あえて気付かないふりをして見せるのだ。お互いに。
こんな時の仮面ほど辛いものはない。周りの空気で被らされている仮面とは違って、これは自分の意思で取れぬように強く、強く押さえつけているのだ。
一見、親しい人ほど素の自分を見せていると思いがちなのだが、親しい人の方が見せてはいけない小さな秘密や嘘が多いような気がする。
親しいから、嫌われたくないから……こんな理由で相手や周りや自分さえも騙している。
親や友達との会話でもそれは多く存在する。
自分はこうであるべきだ。
そう考えることで、こうであろうとする。
「私はこう思ってるの」
なんて思ってもいないことをあたかも自分の本心のように言っていたりする。
こうすることで、私は追い詰められ、自らを破滅へと導いていったりするのだ。
何でこんな自虐的なことをしなければならないのか、たまに考えて見たりする。
そして、導き出される答えはいつも一つである。
私は嫌われたくないのだ。
親しい友達や親やその少年に嫌われたくないのだ。
多分、私が本心を出すことで離れていく人はいないだろう。だが、あくまでそれは「もしも」の話であって、実際の出来事ではないのだ。
実際にどうなるかが100パーセント分かっていないのに、大事なものを失うかも知れない賭けにでるのか。答えは否。
確かにその賭けに勝ってしまえば、今よりももっと素敵なものになれるのだろう。
でも、そんなことをするだけの根性も精神も持ち合わせていない。
だから私は仮面をつけるのだ。
例えその仮面の下で本当の私が涙を流そうとも。
これが私が思う仮面のあり方なのだから。


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No  2

人の仮面のあり方

まず、何から吐き出していこうか。
この文章を書き初めて私が最初に思ったことである。
普通であるのならば小米雪の自己紹介をし、小米雪が何であるかなどを書いていくのもいいかも知れない。
しかし、私自身の意見としてはこのブログに書く文章や小米雪の考え方から小米雪がどんな人物かを予測していただきたいのだ。そして、私自身それが自分の本質であると感じている。
人は仮面を被っている。昨日の文章でも私はそう記した。
これについては何の間違いもない。どんな善人であろうとも悪の因子は含んでいるし、逆にどんな悪人であろうとも良い部分は持っているものであると、私は信じている。
表面上の私自身を言葉で言い表すとしたら、面白い、明るい、人当たりがいいなんていう言葉が当てはまるのかもしれない。実際、色んな人から聞いた自分の印象などはほとんどがそれで片付けられてしまう。
しかし、実際の小米雪が思う小米雪は女々しく、腹黒く、弱く、脆い存在であると思う。
その二つの違いが自分の被っている仮面であると感じているのだ。
何故そんな仮面を被らなければならないのか。
ふと、たまにそう思うときがある。
どんなに辛くても辛くないと笑顔を見せたり、如何でもいいと思うことに愛想笑いを浮かべたり……自分の仮面をありありと生活の中で感じることが良くあるのだ。
例えば、ヘアサロンなんかで髪を切ってもらっている時である。
美容師は客との、私は美容師との無言の時間をつぶす為にお互いに上辺だけのあまり意味のない会話を繰り返してみせる。
「学校は何所なんですか?」
「先程から小説を読まれてますけど、本お好きなんですか?」
美容師と限らず、小米雪をあまり知らない人間がよく言う台詞である。
「学校は○○大学です。科学の方面で専門的なことをやっています」
「本は好きですね。特にこの作家さんは面白いんです」
小米雪自身はその様に答えることが多い。
「へぇー、科学なんて何か難しそうですね」
「そうなんですかー。私は漫画くらいしか読まないんですよ」
美容師はその様な返答を返す。
この言葉自身が悪い訳ではないのだ。私が言いたいのはこの言葉にどれだけの意味があるのかという問題である。
私は科学について、「何か難しそう」という印象をもつ人間に科学を分かりやすく説明できるほど、頭の出来は宜しくない。本にいたっても漫画しか読まないと言ってしまった人に対して、本を無理強いして読ませることなんて無理であると分かりきっている。
正直、この会話のやり取りに全く意味はないと言ってもいいだろう。
この場合、客と美容師には音が必要なのである。
その音は先程のような意味のない会話でもいいし、例えば
「今日はいい天気ですよね」
「そうですね」
というような全く脈絡もない英語の例文の様な会話でもいいわけだ。
でも、一応は会話になる文章を選ぶのだ。
正直、美容師の方もこの質問に答えてもらったからといって何をえるわけでもないし、興味だって大してないに違いない。
いや、客の学歴や趣味に真剣に興味があると言うのならば何も止めないが……。
唯そこに流れる空気が和やかであると繕うためにこの会話を選んでいるのである。
そんな風に思っているのなら、答えなければいいと思うだろう。
「何所の大学ですか?」
「聞いて如何するんですか?」
「本はお好きなんですか?」
「好きじゃなければ読みません」
こんな風に返して会話を打ち切ってしまうことも勿論出来るのである。
でも、小米雪はいつも最初に書いたような返答を繰り返すのだ。
これが仮面である。
冷たく言葉を打ち切ってしまっても困る訳ではないのだが、人として如何かな? っと思うとき人は予想されるべく答えを繰り返すのだ。
そして、美容師の選んだ言葉に笑みを返してみせる。
「あっそれ知ってます。面白いですよね」
「そういえば、こんな話テレビでやってましたよね」
お互いの少ないキーワードの中で共通の話題を引っぱりだして話を続けるのだ。
あの時間は小米雪にとって結構苦痛だったりする。
別に美容師に限ってのことではないので、美容師の皆さんは是非とも気を悪くしないでいただきたいのだが、私のような人見知りの人間にとって初めて会う人間との会話というのは何時まで経っても居心地が悪いものであるのだ。
それでも、笑みを返し、返事を返し、家に帰る自分に嫌気が差すのだ。


 




すみません。長くなりそうなんで明日に続きます。229


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No  1

お初お目にかかります

初めまして、小米雪(こごめゆき)です。
私がこのブログを開いた訳は二つあります。
一つは日常との捌け口やストレス発散の場としての役割です。普段、小米雪を始めとする人間は皆仮面を被って生きていると感じます。
私はそれ自体が悪いことだとは思いませんし、社会生活をやっていく上で必要不可欠なものだと思っています。
では、その仮面を何時外すのか? それはこのストレス社会において重大な点であると感じています。
趣味の合う友達との飲み会の席で? それが出来ればいいですが、いつも友達との都合があうとは限りません。
一人のんびりとしている時に? でも、一人でいる時って誰かに愚痴や話を聞いてもらいたくなりませんか? 
そこで、小米雪はここをその場にしようと思っています。
ブログという顔の見えない世界で違う仮面を被るのではなく、あえてさらけ出すことでストレス発散の場として使っていこうと思うのです。
そしてもう一つ。小米雪はまだ社会を知らない無知な大学生です。
それに関しては何にも言うことはありませんし、小娘が下がっていろ! っと言われたらすぐさま後ろに百歩でも二百歩でも下がって見せます。
ですが、学生生活――というよりも小米雪のこの小さく単純な生活においても、少しわき道にそれるだけで色んな発見があります。
最近テレビなんかを見ていても、何だこりゃ? 今はこんなことが流行ってるの? えーっ? 何で? っと言うことが増えてきたんですよね。
そこで、小米雪はこの場を借りて、そんな不思議について心行くまで考えていきたいと思うのです。
仕様もないと思われた方は、どうか悪戯なんかせずに回れ右して帰ってください。
あまり、小米雪を苛めないでやってくださいね。これでもか弱い女の子ですから。
唯、少しでも興味を持たれた方は一ヶ月に一度でも覗いて下さると嬉しいです。
ではでは、これから宜しくお願いします。


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No  339

小説について

syousetu.jpg 

此処からは短編小説になります。
大まかに分けて三つの短編ストーリーが皆様をお迎えいたします。
皆様は何がお好みでしょうか?
浮気話?
昔に戻ったかのような純愛?
何れにしろ、短いショートストーリーが皆様のお心に残ることを期待して……

以下、収録小説

  • 酒で丸めて浮気をこねる
  • 食べ物シリーズ
  • 韻遊び五題

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No  337

小さな想い


tiisanaomoi.jpg 



「小さな想い」は小米雪が突発的に書いた詩です。
その時々の気分や気持ちを織り込みながら言葉を選んでいるつもりです。
ごくたまに物語調のものや言葉遊びが入っています。
挿絵も自分で入れているのですが、イメージに合わないことも多くて何時も苦労しております^^;
詩というものを勉強したことがなくて、かなり自己流のものになっていますが、この小さな想いが皆様の心に少しでも残りますように、と何時も一生懸命書いています。
短いものですので、ほんの少しだけ覗いてくださると幸いです。



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No  335

言の葉について

kotoba0.jpg 

言の葉……
これは日々浮かんでは消えるほんの少しの気持ちを一言でまとめたものです。
小米雪オリジナルキャラクターであるマツゲネコ、まっつんのイラストと共に、ふっと心に残る一言を残せていけたらいいなぁと思っています。
それでは、皆様のお心に何かが残ることをお祈りして……


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No  340

食べ物シリーズ

【前書き】
このシリーズは小米雪の小説にしては珍しく、純愛ものの小説になっています。
人の性格を食べ物に例えて進んでいくシリーズで、昔とあるサイトさんで公開させていただいていたものです。
あなたにとって恋愛は一体どんな味がするでしょうか?
甘い甘いスウィーツ?
ピリリと舌に残るスパイス?
それとも……
そんなことを考えながら口に含んでくださると嬉しいです。
では、まずはつまみ食いから……?
いえいえ、そんなことを仰らず、ゆっくりとご賞味下さい。
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